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パイソン君

今日は朝一番、図書館に行って本を借り、
散髪屋さんにゆきました。
そして時間があったので紀伊国屋をのぞき新書判を購入しました。
「入門者のPython(パイソン)」という本です。
コンピューターのプログラム言語なのですが恥ずかしながら初めて知りました。
プログラムが書きやすい、読みやすい、すぐ使えると書かれております。
なかなか面白そうです!!!
また、このパイソン君、ネットで無料でダウンロードできるのがいいですね~

https://booklog.jp/item/1/4065131634

昔、MS-DOSで「クイックC」という言語で時間計算のプログラムを書いたことがあります。
番組のキューシートを書く時に重宝しました。
で、この度は写真のファイルを自動整理をしてくれるというので買ってみる気になりました。
現在、グーグル・クロームで写真を一覧表示させると撮影日時の順ではなく、
ファイル名順になるため2台のカメラを使用していると
表示がちぐはぐになって困っているからです。
お昼すぎ家のベッドで横になって読んでいるといつの間にか寝てしまいました。

いやぁ~、いい睡眠薬を手に入れることができました。
このままゆけばプログラムの完成は4、50年先になるでしょうが
それまでベッドのおともとして使わせてもらおうと思っています(-_-)zzz…

プログラムソフト・Python(パイソン⇒ニシキヘビ)を開くためには
「Anaconda(アナコンダ)」というサイトをダウンロードし、
その中から「Spyder」という画面にはいってパイソンを使う?????
まるでジェラシックパークみたいです、
こんどはティラノサウルスが出てきても驚きません\(^-^)/

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あらゆる権威や前提を疑う

先日亡くなれた梅原猛氏の入魂の大作『水底の歌』を読み終えました。
まさに衝撃の作品と言ってよいでしょう。
『万葉集』や『古今集』などに関して専門的知識のない私としては、
彼の言っていることが正しいかどうかわかりません。

ただ、賀茂真淵や本居宣長が言ってきたこと、
また斎藤茂吉や多くの現今の学者が言っていることが
必ずしも正しいとは限らないということを確認できただけも
有意義な書物であったことと思っています。

さて、この本のテーマとなっているのは柿本人麻呂という万葉歌人その人です。
いつ何処で生まれ、何歳で何処で泣くなったか詳しくはわからいけれど、
古今集よりこのかた「歌聖」と仰がれている大歌人です。

「正史」、すなわち日本書紀、古事記などに登場していない歌人が
天皇の行幸に伴い、皇子などの挽歌な数多くの歌を詠むことができたのであろうか?
これが古来より謎の部分として幾多の学者、歌人に論じられてきました。

今日多くの学者などは江戸時代の国学者、賀茂真淵、本居宣長らが唱えた説を
概ね支持しているようです。斎藤茂吉もそれにそって独自説を展開しています。
すなわち、人麿は六位以下の舎人で、朝集使でもあったらしい。
最後は舎人から地方の下級官僚となり、石見国で亡くなった。
また、古今集の序に謳われている文言の一部(五位以上を示す大夫を付して「柿本大夫」と記され)は
後世書き換えられたものである。

梅原は石見国の微官が持統天皇のお供をしたり、皇子の歌を読んだりできるか?
たとえ舎人の身であったとしても、律令制度の中、多くの皇族に接触することは考えられない、
とまず疑問を提示します。
また古今集は天皇のさししめした勅撰歌集である、みだりに書き換えることはありえない、等々。
彼の論法は気持ち良いほど明快で、過去の常識をずばずばと断ち切ってゆきます。
そのスジの運びは昔読んだジョセフィン・テイの『時の娘』を読んでいたときの興奮を
呼び起こしてくれました。

彼が言っていることが真実かどうかは勿論私には全くわかりません。
でも、「あらゆる権威や前提を疑い、すべてを自分の論理で判断し、
確実な基礎の上に一歩一歩論証を重ねて行く」
こうした姿勢に私は心打たれました。
世の人々、否、特に学問に携わる人はこうあってほしいなと思っています。

井の中の蛙

大佛次郎『天皇の世紀』第1巻のみ読みました。
さすが加藤周一氏が絶賛しているだけあって、歴史に対する視点が素晴らしい。
例えばこうである。
『幕府時代の日本人は、住んでいる土地から一生離れないのが原則であった。
・・・都市が発達するに従って、商人の活動がさかんとなり、
農民も村を離れて労力を求める街に出て働くようになった。
世の中の組織が変わってきたのである。
よほど旅慣れたものでないと、旅の苦労を人が嫌がった』

ほとんどの人々は自分の澄んでいる国から外に出ることなく、
情報もあてにならない人伝であった。
お上の言うことが全てであった。こうした中で黒船がやって来る。
最初は宮中はもとより、幕府も旧弊にこだりは頑なに異国の排除しようとした。
自分たちだけの身分さえこれまで通りであればよかったのである。
一部の人たちは多少海外の情報を得ていたが、
日本国民ほぼ全員が井の中の蛙だったのである。

『夏目漱石先生の追憶』

「しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。」

寺田寅彦随筆集第3巻(岩波文庫)より

『吾輩は猫である』に出てくる水島寒月君が寺田寅彦である。

船戸与一の『虹の谷の五月』を読んで

やはり船戸与一は良い、最高だ!!! 
ある人がこの小説は語彙が不足していると言っておられました。
その時、私は夏目漱石の『吾輩は猫である』という小説を思い浮かべました。
「吾輩」が小説のはじめあたりで、「言語道断」を「言語同断」と言っているのです。
最初、誤植かと思いました。漱石ともあろう人が何故?
やがて、ある時、腑に落ちました。
これは猫が語っているのですよね、だから、これでいいのですね。

これと同じで、この小説の語り手は13~15歳の少年です。
でもその語り口調は絵の具の原色を使ったように飾らぬ素直さがあります。
したがって大変読みやすい。
また、そのボキャブラリーの少なさを補って余りある誠実さ、
人として真摯に生きてゆく姿、これが素晴らしい!!!
 とかく難しい文言、モノをよく知っている人が偉い人だと思われがちですが、
本当に偉大な人は多くを語らず、行動によって
自分自身のためではなく、人のために働くひとではないでしょうか?

プロフィール

Hocco21

Author:Hocco21
手前、生国と発しますは
芸州・ひろしまです。
小さい折から、太田川の
産湯を使い、
長じましては宮島の弥山を
眺めてその日暮らし、
年金生活をおくってます。
さあて、ここに
取りいだしたるは、
本や音楽のお話、
また、映画や写真の話題、
それに、楽しい話に、
くだらねー話と、もり沢山!
御用とお急ぎでない方、
さあて、お立会い!

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