生きる、そして生きている

昨日、岩国で叔父さんの3回忌の法事に行きました。
叔父さんは私の母の弟で、82歳で亡くなりました。
この日お寺さんがおじいさんの37回忌にも当たるので、
一緒にしましょうということになりました。

錦帯橋のすぐそばの料亭には20人余りの親族が集いました。
お寺さんの読経のあと、墓参りをし、食事会となりました。
その席上で叔父とおじいさんの昔話に花が咲きました。

「おじいさんが学校の先生の通信簿の字を見て、
『こんな字ならワシが足の指股に筆をはさんで書いちゃる』
ちゅうて言っとったなー」
「そうそう、それに叔父さんも字がきれいじゃったのー。ありゃー血で~」
でも、私の母は字が下手だった。しかし、私の姉と弟は本当に達筆だ。
私は母の血を引いたのだろう。

さらに、
「おじいさんは世話好きで、台風で橋が流された時も、
両岸にロープを張り、そのロープを伝って渡し舟を行き来させよった」
「叔父さんも岩国の町内で長年世話役をし、
レコード店の商売はおばさんに任せっきりじゃったのー」
「ほいじゃが、びっくりするのは原爆で片目をのうしても(無くしても)、
あのじいさんは92まで生きとっちゃった」
「ほいで、最後までかくしゃくとしとっちゃった、すごかったの~」

すると、私の隣いいた80歳を過ぎた元気な叔父さんが
「こうした法事の有り難いことは、
みんなでこうした昔話をしておじいさんや叔父さんのことを
話すということじゃ。
それが、あの二人がまだ生きているということじゃー。
でも、ここいるわしらが亡くなったらそんなこともできん。
昔から、『人は二度死ぬ』言うてのー、肉体的に死ぬことと、
人々に忘れられて死ぬことの2つの死に方あるんじゃ」
この叔父さん、伊達に齢を重ねてはおられません。

私たちは生きていると同時に生きることができます。
この短い人生を懸命に生きる、
すると後に続く者に思い起こしてもらって、その人は倍以上も生きられるのです。
しかし、それには自分のためにではなく、人のために生きることが肝要なのでしょう。
生きるということは人のために生きることなのでしょうか。

帰りの車の中でそんなことを思いました。
スポンサーサイト
プロフィール

Hocco21

Author:Hocco21
手前、生国と発しますは
芸州・ひろしまです。
小さい折から、太田川の
産湯を使い、
長じましては宮島の弥山を
眺めてその日暮らし、
年金生活をおくってます。
さあて、ここに
取りいだしたるは、
本や音楽のお話、
また、映画や写真の話題、
それに、楽しい話に、
くだらねー話と、もり沢山!
御用とお急ぎでない方、
さあて、お立会い!

この度、「カテゴリー」の欄に
「私のお気に入り」という項目を
作成しました。
御用とお急ぎの方、
この「私のお気に入り」を
クリックてみてください。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード